蔵人日記
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非蔵人日記抄

第一回『伸爪(しんか)の嘆』

今期より酒を売る方から造る方に立場を替えて日本酒に関わる事になり、期待と不安が綯交ぜる中、9月の上旬より営業に一区切りをつけ、蔵に入った。それから2週間あまり経ち、1号、2号タンクの仕込みが終わり、3号、4号の準備が進むなかで精神的にも肉体的にも疲労のピークだが、この日記を何時までも先延ばしにすることも出来ないのでここに第1回目を記す。

なにしろ齢『致命』にして予備知識なしで初めて従事することなので醸造過程の専門的な説明は無理なのと、各蔵元で設備、杜氏の考え方も違うのであくまで『鳴門鯛』で私が見た、感じた事をそのまま書くので知識不足、認識不足から多少の間違い等があってもそこはご容赦をお願いしたい。

蔵作業に入って早々に一発キツイストレートパンチをお見舞され、1R開始早々いきなりノックダウンしかけたのは、麹室での製麹作業だった。9月とはいえ残暑厳しい日が続く中での、床仕事は想像以上に厳しく、その作業を例えるなら一寸温度低めのサウナ室でせっせ、せっとマッサージ施術をしている(受けているのではなく)感じで、マッサージする相手も炊き立てホカホカのお米というわけ。蒸しあがってすぐ放冷し決められた温度に下げて麹室に引き込んで、なお三十数度ある蒸米をさらに室内作業で種麹をする目標温度まで下げるのだが、蒸米からの放熱と蒸気で室内は忽ちむっとし慣れない身体からは一気に汗が吹き出し、頭にタオルを巻いていないと米をほぐそうと前に屈むと汗が麹米に滴り落ちてしまう(もちろんダメ)

よく蔵元の作業写真で蔵人が頭にタオル等を巻いているのはある種のファッションなのかと思ってたが、とんでもない勘違いで帽子では汗を止めれないからで、あれはつまりは極めて理にかなったスタイルということを身に染みて解った。次の日からは脱水状態にならないように朝起きて出勤するまでに最低1L近くはスポーツドリンクを飲む様にしてみたが、朝から「盛り」→「蒸し取り」→「床」と続く日は朝飲んだ水分はあっという間に汗として体外に流出し、一通りに作業を何とか終えて室内掃除するころには頭はボーっとし呼吸はハァハァと荒くいつまでもたっても落ち着かず、室を出てもしばらくは声も出せないという情けない有り様で その時の私の吸水率は限りなくゼロに近い。

このひと月弱で会社の自販機に100円玉を一番多く投下したのは間違いなく私である。
自分が関わる室内での作業は他に「切り返し」「出麹」だが 何度かその作業をしているうちに、ふと思ったことがある。元々指の爪はあらかじめこれでもかというくらい短く切っていたが、どうもここ最近、爪の伸びが気持ち若干遅くなったようなそんな気分に襲われた。毎日のように蒸米の塊を両手でほぐし麹米によって指先で揉んでいると、もしかしてその抵抗で、爪の成長が阻害されてるのかもと。たぶん事実は所詮疲労からくる思い過ごしでそれ程の大層な事では無いが、そのことで昔読んだあるエッセイのことを思い出した。

随分昔のことなので曖昧な部分があるが、ある囲碁棋士で、タイトルをいくつも奪取し囲碁界の頂点を極めた人が、対局中にふと自分の利き手のひとさし指と中指をしげしげと眺めて「最近よく爪がのびるなぁ 修業時代はこの指の爪だけは切ったことが無かったのに 今はこんなに伸びてしまって…」と嘆いたのを観戦記者が聞いて、それを中国の故事 劉備玄徳の「脾肉の嘆」に倣い「伸爪の嘆」と名付け記事にした。その棋士は若いころから研究熱心で有名で、若い頃は寝ているとき以外は文字通り四六時中、碁盤に向かっていたので碁石を挟む二つの指の爪が伸びることがなかったそうだ。

さて私も時が経ち今の自分を思い出し「あの頃の自分は…」という嘆くことがあるのだろうか?

第一回 終わり

【筆者ご紹介】
本家松浦酒造 新人蔵人 竹内浩二
『鳴門鯛』と同じ村生まれ、初めて飲んだ日本酒は勿論 本家松浦酒造場謹醸 なるとたい『金松』。時期は秘密。次に飲んだのはそれから三十数年後 松浦酒造に面接に行く前の夜に吟醸『飛切』。
10代の後半からずーっと県外に在住だったので松浦酒造の存在そのものを忘れていた。世代的にはいわゆるバブル世代だが 生きてきた実感としてはバブル後始末世代ではなかろうか 若い頃の会社の上司はやれゴルフだ、やれ銀座だと交際費青天井で『♫サラリーマンとは気楽な稼業ときたもんだ♫』を地で行ってたが、そういう美味しい事がこちらまで降りてくる前に時代は回っていた。気がつけば周りの仕事先関係はアウトレイジな人やその共生者ばっかりの時期もあったような..,そんなこんなで数年前より郷里に帰り、今までの罪多き人生を反省しお天道様の下、少しでも世間様に何か良きものをお届けしたいと思い現在に至る。